一学期ごとに各学年の子どもたちの学びを披露する月例祭が、三学期末は「修了の会」と呼ばれ、今年度は旭公会堂で執り行われました。その日は9年生の卒業を祝う会もあるということで楽しみに会場へと向かいました。
娘のいる1年生クラスは、一学期の頃は先生の後を木笛のリズムと共について歩き、「きゃっきゃっ」、「うふふ」、と言いながらもそれなりにやっていて、とにかく可愛かったのを覚えています。当時は、小学生に上がってからの生活に慣れるのに親子共々必死でしたが、月日を追うごとに子どもの成長を感じるようになりました。
恥ずかしがり屋で、注目されることが苦手な娘が、二学期末の月例祭が始まる前に「私のことを見ててね!」と話した時には、とても驚きました。あまりの突然の変化にただただびっくりしたのでした。
三学期末の修了の会では、1年生が「朝の挨拶」を唱えている時、一つひとつの言葉がはっきりと聞こえ、そして力強く響いていました。どの子も集中していて、よくあのような大きなステージの上でいつものように振舞えるものだなと、感心しました。
各学年の発表でも、それぞれの様子を垣間みることができ、学年が上がっていくごとに美しさや格好良さが増していきます。他の学年の子たちの発表は、子どもの将来の姿を想像するようで、親の私にとってはいつも励みになっています。
9年生5人によるオイリュトミーの発表には、その吸い込まれるような美しさに釘づけとなりました。目を離そうとしても、離すことができない。そんな体験は、私がこれまで生きてきた中でもそう多くはありません。
最後に9年生の代表の子が全体に向かって挨拶をしている時、自分の言葉でしっかりと話をしていて、飾らない姿にとても好感を持ちました。
その中に、「色々ありまして、今は5人ですが…」という話がありました。入学当初より人数が減ってしまった、という内容でした。それを聞いた時、以前参加した公開講座(「一年生になるということ」)での、長井先生の言葉を思い出しました。
「シュタイナー学校では一人の担任が1年生からずっと見ているので、その子に何かあった場合、“点”だけでなく、点と点を結ぶ“線”や“面”でその子の様子を見ていく」というようなことをおっしゃっていたのです。それは「9年間ずっと関わっていくからこそ、できること」という話は、とても心に残り、そして入学の大きな決め手ともなったものでした。なので、9年生の姿を見ながら、長井先生の言葉がより深く、確かなものとして自分の中に入っていったような気がします。
また、担任の先生はもちろんのこと、専科の先生方、そして周りの保護者たち(おそらく会場にいた多くの人たち)がそうしてこの子たちを見守ってきたのだろうなと思うと、「ここの子どもたちは幸せだな」と心から思います。
一年を終えたばかりの私たちに、これからどんなことが待っているのか、まだ想像ができませんが、信頼する先生方や心強い保護者のみなさんたちと過ごせる日々に感謝して、子どもたちと一緒に成長できるようにと願っています。
(1年生保護者 松山ちかこ)