校内のあちらこちらが、やさしく美しいアドヴェントの飾りで満ち、いつもより一層、あたたかな空間となっている学園で、12月8日金曜日に、アドヴェントの庭(通称:りんごろうそく)が行なわれました。
日中の時間が一年で一番短いこの時期、夕方に再び登校した頃には、すでに陽は暮れ、群青色の空は、刻々とその色を濃くし、夜へと向かっていきました。一年生の娘は、緊張した様子もなく、すでに集まり始めていた一年生の輪の方へ駆けていき、私はいつもよりも厳かな空気に満ちた校内で、静かにその時を待ちました。
青い布で部屋中が覆われたオイリュトミー室は、外界からの光が入り込むことなく、中央に灯された1本のろうそくの灯が、やさしく奏でられるライアーの響きに、揺らいでいました。たった1本のろうそくの光なのに、なぜか眩しいくらいに光り、その光の強さに、私は何度もまばたきをしました。2年生、そして1年生が部屋に入り、先生の素話の後に、ひとりずつりんごを受け取り、モミの木で描かれた渦の道の中を、中央に灯されたろうそくまで歩み、手元のりんごろうそくにその灯をうつします。そして、そのりんごろうそくを、モミの木の渦の道に並べ置き、もと来た道を戻ります。手にしたりんごろうそくに、中央のろうそくの灯をうつす時、ひとりひとりの顔が、ろうそくのやわらかな光に照らし出され、胸の奥から熱いものが込み上げてきました。それは、まさに、ひとりひとりの魂の光が照らし出されいるようでした。小柄な子なのに、中央の灯に向かって歩く姿は、堂々といつもよりも大きく見えたり、華奢な印象の子なのに、りんごろうそくを手に歩く様子は、しっかりとした太い芯の通った姿だったり、慎重にじっと灯を見つめる子や、軽やかに誇らしげに歩く子。そこには、ひとりひとりの持つ真の姿が映し出されているようでした。それはなんとも不思議な光景でした。ここにあり、ここでないところにいるようでした。
全員がりんごろうそくに灯を灯し終え、つくり出された渦の道は、息をのむほどに美しい光の道で、今日ここに集った1年生、2年生の魂の輝き、そして歩む道を導き、照らすものとなっていました。
会が始まる前に先生が語られた「きっと一生に一度か二度くらいしか経験することのないこの日」という意味が、とてもよくわかりました。そして、その一度をこうして、あたたかな愛と光のもとに経験させていただけたことに、感謝の思いでいっぱいです。
アドヴェントの庭が終了し、灯の消えたりんごろうそくを大事に手に持ち戻ってきた娘は、なんとも言えない寝ぼけたような顔をしていて、私が感じた「ここではないところ」に、娘は行っていたのだと思ったのでした。
ライアーの響き、子どもたちの歌声、そして光に照らされた道。親の私も、子どもとともに歩む灯をしっかりと分けてもらったアドヴェントの庭でした。
(1年保護者 高旗晶子)