VOL.1

2020年1月23日

保護者・OBインタビュー Vol.1
「正直、僕はシュタイナー学校に行きたくなかった」

プロフィール

年齢:40代
職業:会社員
趣味:読書
家族構成:妻、7年生、4年生、4歳の子どもの5人家族(2019年度現在)
学園との関わり:財務委員、校舎移転プロジェクト、経営改善プロジェクト、中期計画プロジェクトに参加

ーまずシュタイナー学校に入学しようかなと思ったのはいつくらいだったか覚えていますか?

保護者:「シュタイナー」という名前を聞いたのは、子どもが小学校に上がる前で、たしか2012年の7月、8月くらいです。きっかけとしては、妻からの紹介でした(※1)。実際にこういう学校があるから一緒に行ってみない?と言われたのが同じ年の8月か9月くらいです。初めて来たのは、多分、時期的に学園が開催している校内見学会とか茶話会のようなものだったと思います。

ーその時何か印象的だったことはありましたか?

保護者:印象的だったことは、まあ正直その時はネガティブな印象と良い印象がだいたい半分ずつくらいで、「やっぱり公立校以外は基本的にはないだろう」という考えで行きました。まずネガティブなことから言うと、校舎が狭い、人数が少ない、あとは元々体育会だったのでグラウンドがない、というところでした。ポジティブなところでいうと、子どもたちの書いたエポックノートを見せてもらって「ああ、なんかこういう風な“学び方”があるんだ」というところは感心しました。一番印象に残っているのは、その時にいらしていた横山先生(※2)に質問したことで、僕はサラリーマンなんですけど、「なんでそもそも先生はサラリーマンを辞めてこの教育を選んだのですか?」という質問をしたことです。

ーその時の答えは?

保護者:時間もなくて語りきれなかったんですけど、横山先生は、将来教育に携わる夢や目標があり、もともとシュタイナーに関心があって、脱サラをして留学をして、ドイツに行ってもう一回勉強をしてこの教育を選んだんです、というような話をしてくれました。さらに、なんでこの教育を選んだのかという質問をしたら、すごく学ぶ姿勢がつく教育だと思うと。後は人間の成長に添った教育だと言ってくれたような記憶があります。まあ、その回答よりも、僕が横山先生にそういう質問をした、という印象が強くて。すごく不安だったので……、良い回答を得られるのかなという思いで質問しましたが、申し訳ないんですけど回答内容は正直あんまり覚えてなくて……。

ー先ほど、公立以外はないだろうと思って来た、と言っていましたが、なぜ学園に「来てみよう」と思えたのですか?

保護者:そこは正直、妻に引っぱられて、僕に行かないという選択肢はそもそもなかったと(笑)。でも本当はやっぱり行きたくなかったんですよね。やっぱり公立で自分が育ってきたように、という頭があって、学校に行ったらスポーツをやって、勉強して、中学高校に上がっていくという、いわゆる普通の考えしかなかったんで……。行きたくなかったけど、妻が怒るから無理やり行ったと。ただそれだけです(笑)

ーなるほど(笑)それで来てみたんですね。それから再び学園に来ましたか?

保護者:そうですね、入学説明会に2回来ました。で、その後も一応、「面談だけは受けてもいいよ」ということで10月に面談をしました。

ー「面談だけは」?

保護者:まだ入学は決めていない、ということです。でも多分心変わりはあったんでしょうね……そこでちょっと。本当だったら夫婦揃って面談を受けないといけないから、僕が行かなければもう入学は決定しないという状況を、あえて入学をする方向に足を踏み入れた。僕がはっきりと印象に残っていることが一つだけあって、僕は本当に典型的な昔からの日本のサラリーマン家庭に育っていて、大学は体育会系だったし、高校もそうだったし、僕の一つの判断基準として、将来社会で役立つというか、飯を食っていけるように人になってほしいなという思いはありました。あまり子育てとか教育には興味がなかったんですけどね。

最初この教育を聞いた時にも、学歴社会とか、そういったことは強く意識はしていたから、本当によく質問したのは、この学校を出てどういう大学に行っているのか、とか、どういう社会人になっているのかとか、そういうことでした。で、シュタイナー教育を受けた人が社会でどういう活躍をしているのかを自分でもよくネットで検索していて、自分の中の当時の一つの価値観としては、いちサラリーマンとしてやっていけるか、飯を食っていけるか、ということがまだ固定観念的にありました。

そこから何で気持ちが切り替わり始めたのかっていうのは、その時の入学説明会の時に生徒のエポックノートを見せてもらって、そこにたまたま「社会の仕組み」、「お金の流れ」のようなことが書かれていたんです。何で銀行にお金を入れて、そのお金がどういう風に社会に還元されているのか、ということが書かれているページをたまたま開いて、「あ、これってこういう勉強の仕方や理解の仕方があるんだ。本当にわかりやすいな」と思ったんです。これは僕が小学校の時に受けたかったな、ということを思って、そこで気持ちが切り替わったことをはっきり覚えています。当時の価値観というか、考え方に添って、「あ、これは絶対に役に立つな」ということを実感しました。

ー10月にご夫婦で面談を受けられた時はどういう気持ちだったのですか?

保護者:一応入学できるような体制は作っておこう、という姿勢で面談は臨みました。でもまだ考えようねという話を夫婦でしていて、正直、半分半分。だから、別に一回入学はしてもいいけど、もし合わなかったりちょっと違うようだったら正直辞めるということもあり得る、と。あとはやっぱり教育を提供してくださる先生方やそこにいる親御さんたちの雰囲気が、良かったということがあって、まあ一回入学をしてみようか、ということになりました。でもそれでもちょっと踏ん切りがつかず、最後の最後まで入学金を支払うのをためらいました。もしかしたらまた気持ちが変わるかもしれないし。それくらい迷ってて。正直な気持ち、できれば奥さんが公立に気持ちが変わってくれないかな、という希望も持っていました。

ーそれから「よし、行こう」と腹に決めたのはいつだったのですか?

保護者:腹に決めた……。というか正直、腹にも入っていなくて(笑)、あのノートも良かったし、一回行ってみようかと。妻の気持ちも変わりそうにないし、辞めて転校になって公立校に行くことになっても当時の保育園の友だちがいっぱいいるから何とかなるだろうと。で、一回入学しましょうということになりました。そんな感じですかね……。ちなみに二人目の男の子の入学については実は反対しました。「男の子は絶対に公立だ」と思っていたんです。長女はいいけど、長男は絶対に公立校に通わせる、ということを長女の入学の条件に付けました。それは妻も理解をしてくれて、それで入学を決めることになりました。

でもその前に、入学するまでに自分が気になっていたポイント(校舎やグラウンドが狭いこと、人数の少なさや家からの距離など)について、自分なりに潰していったんです。特に海外の知り合いには色々聞いてました。例えば「グランドが広い方が勉強ができるようになるのか」ということを聞いたときは、アラブ系の人たちからはそもそもグラウンドで遊ばない、と言われました。グランドはあるけど熱くて日中遊べないと。あとは海外で都市部だと大きなグラウンドとかもないですし。でも現在の彼らをみると、勉強ができてサラリーマンとしても優秀。だから、そういうことは多分直結しないのだろうと思いました。

校舎に関しても幼少時代の校舎が広いとか狭いとか関係ないよ、と言われたり。あと、友だちの数に関しても例えば100人いる学年でも、結局仲がいいのは5〜6人。それって別に今の学校でも変わらないよねっていうことで、その辺の不安を自分なりにちょっとずつ潰していきました。シュタイナー教育の本を買ったりして自分なりに勉強をし始めたのは長女が入学してからです。

ーその不安を潰していったのは海外の知り合いの方たちとだったのですか?

保護者:そうです。海外の方がもっと多様性もあるし、学園は日本の公立学校とは環境が違うから日本の人に聞いても僕の不安は解消されないと思っていました。そしてそれは入学前だけでなく、入学後もずっと続きました。

ーそれをたずねて回らなくなったのは、いつ頃でしたか?

保護者:長男が入学する前まで続きました。そもそもうちは当時学校に車で片道40分かけて通っていて、それがネックで。日本ではそんなことあり得ないじゃないですか。地元の公立に通う人に相談してもそんなことはあり得ないと。だから、海外でそういうケースはあるのかと聞いたりしていました。

ーそれで二人目が入学する時期がやって来ましたね。

保護者:その間に自分の不安も解消していきつつ、学校の先生方の熱さ、というのが一番大きいところかなあ。先生の熱さ、優しさも含めて、「こんなに人に添って、子どもたちに添ってくれる先生って、多分他にはないだろうな」というのを徐々に感じていって。結局、最初は長男の入学に反対だったのに、最後の1年でちょっと気持ちも傾き始めて、まあ長男も入ってもいいよとなって、その時はすぐに入学金を払いました(笑)
男の子の親として、グラウンドや校舎の狭さや生徒の人数ということを気にしていたけど、それは確かにあんまり関係なさそうだと。別にスポーツ選手にするならわかるけど、僕がスポーツ選手にはなれなかったから多分息子もそんなには(笑)本人がなりたかったら別だけど、まあいいかなと。学籍についても公立の先生に本当にお世話になってます。車で片道40分の送り迎えについても、妻も頑張っていたし。あとは……「やっぱりこの学校を選んでよかったな」ということが段々と最近確信に変わってきているなと思います。そもそも学園の先生方はどの先生もなんでこんなに優しく、人に添ってくれるんだろうなと。それってやっぱり一番大事なのかな、と。僕は小学校では全く勉強しなかった子どもだったんですけど、先生がすごく良い先生で、それはすごく覚えているんです。学園は、熱く、優しく、愛に溢れた先生が本当にいる学校なんだと。どの先生を見てもそう。物理的な教室とかの広さとかではなく、全てはそういうところなのかなと。

ー最初に不安に思われていたのはハード面ですよね。そこがソフトの面でカバーされた感じがありますか?

保護者:そうそう、あります。保護者もまさにそうで、他の子どもは知らないというような保護者ではなくて、会ったら必ず声をかけてくれるし、みんな手を振って子どもの名前を呼んでくれる。優しいですよね。昔の日本みたいな感じがします。街中歩けば誰か知った人がいる、みたいな。人を無視せずに優しく接してくれる保護者の存在というのは本当に大きいですよね。、本当にありがたいことだなと思います。

ー最初に抱えた不安を解消するのに3年ほどかかったというお話でしたが、当時の自分に今声をかけるとしたらどんな言葉をかけますか?

保護者:当時の自分にですか(笑)何だろう……。まずは「そんなに心配するな」と。そのひと言はかけてあげたいなと思いますね。それでさっき話したように、不安については一つひとつ潰していけますよ、と、自信を持って言えます。社会も変わって来た中で、この教育や教育環境が自然選ばれていくような時代になってきているのかなと感じています。だからもっとこの学校の良さをうまく伝えていかないといけないなと思うんですけど。当時よりも注目され方が違ってきましたよね。やっていることは変わらないのに、時代に求められるようになってきたのかな、と。シュタイナー学校でやっていることは100年前からずっと変わらないのに、求められるようになってきているというのはちょっと面白いなと感じます。

ー子どもの将来への不安は解消されたのですか?

保護者:それは大丈夫だと思います。よく考えてみると、僕自身が小学校、中学校、高校と全く勉強しなかった人間だったので、それと比べるとこの学校の子どもたちはよく勉強しているし、学ぶ姿勢もあるなと感心しているので、これはもう絶対に大丈夫だろうなと思っています。

サラリーマンという話をしましたが、なりたかったらそのための勉強をすればいいと思うし。後は、今後サラリーマンに必要な知識とか能力が学園で身に付くと思っています。最近ではコンピューターとかを教育に取り入れてくるようになってきたけど、機械はただのツールでしかないので、それよりも人としての協調性があったりとか、人の想いとかを理解できる人間にならないと、今後の社会ではそういう人の方がより社会で活躍できるのかなと思ったりすると、そもそも僕が持っていたサラリーマンの固定観念ってもうこれからの時代には合ってこないだろうし。むしろ今、人間性を育ててもらっているという点では子どもたちは素晴らしい大人になっていくのかなと思っています。この学校では先生方がそういう環境を作ってくださっていますし。要は、子どもが将来困らないように飯を食っていけたらいいなと思います。だから典型的な良い大学に行って、とか、サラリーマンに、ということには、今はそんなにこだわっていないですかね。

ーもしそれを子どもが望めば、自分で獲得できる力や土台を学校で培っていると思っているということですか?

保護者:そう、絶対にそうだと思っています。それに結局子ども自身が「こうしたい」と思わないとダメだと思っていて、親が無理やり決めつけるとろくなことがならないような気がしています。今、社会ではいろいろな問題も起きていますし。だから今学ぶ姿勢を身につけた上で、後は自分で判断してどうしていくのかということを考えていってもらえたらと思っています。当然親としてのサポートはしますけど。

ー入学前の悩みとは変わって、今では子どもが自らの意志で選んだものを親としてサポートしていきたいと思えるようになっているということですね。親も成長していきますね(笑)

保護者:いや、親も成長していきますね。本当、そう。そうですね、そこは変わりましたね(笑)
(※1)実は奥さまからの話では、一人目のお子さんは保育園と平行してシュタイナー幼稚園の未就園児クラスに通っていたそうですが、それについてご主人は一切記憶になかった(興味がなかった)そうです。
(※2)横山義宏:第三期生担任(2016年卒業)/現4年生担任
インタビュー日 2019年11月9日

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